華志笑の心の通信記録

日々を書き留めた雑記ブログです。

結婚できるおじさんと、結婚できないだろうなというおじさんとのちがい。

昨今の風潮は、歳を重ねておじさんになってしまった男の人にとって、世知辛い。

それは、私の弟の未来だったり、息子たちの未来の姿でもあるので、やはり、放っておけないなと思いもする。

そんな私でも、積極的に関わりたいと思えるおじさんと、そっと見なかったことにしてあげようと思うおじさんがいるのである。

 

本人は、未来の奥さん募集中だとか、いつか結婚したいと思ってらっしゃるのに、可愛い女性にたいして、素直になれず、可愛いと言えないだけでなく、こんなものはいらないとばかりに、叩き壊すような言動をしてしまう。

こんなおじさんは、見かけると、そっと見なかったことにしてあげようとなってしまうんである。

 

もっと、素直にほめ合おうよ。

まずは、素直にほめることから、はじめてみてほしいとつくづく思う。

SNS上のキャラクターだけからでもいいから、ためしに褒め活してみてほしいな、と。

 

しかし、このような文章は、ホントに必要な人には響かずに、恋愛できたり結婚できたりするような、女性と曲がりなりにも関われる力のある方にしか響かなかったりもする。

結婚や恋愛できる側の男性本人は、コミュニケーションに難があるとか、コミュ障だとか、そのように思っていらっしゃったりもするから、改善しようとなさるし、その結果として、どんどん差が開いてしまう。

 

女性とコミュニケーションを取ることに対して、絶望的な障害を持つ方々は、このような文章を見かけると、ふざけんな、黙れと迷わず言ってしまう。民度の差があれど、大意では、そのような態度になりがち。

それは、彼らのこれまでの心の傷が、そうさせてしまっているのだけど、だからこそ、彼らは彼ら自身の言動のせいで救われず、ずっと悲しい世界の只中にいることさえ自覚できずに心で泣きながら、泣いてないもんと周りを叩き壊してしまうのだ。

 

なんて、世知辛いのだろうと思うけども、そうなると、可愛げすらなく、こちらが壊れてしまいかねないので、近寄ることすらできず、そっとおいておく他なくなる。

 

怒りというものは、深いかなしみの傷からできる。

 

怒りは、ホントにそれを見たものも巻き込んで傷をひらいてしまいかねないといえど、出さないでいようということは、非常に難しい。

怒りを招き入れるような異なる価値観の存在を遠ざけてしまえれば、その怒りは静まる。

だけど、その代わりに訪れるのは、言い様のないさみしさで。

 

この意味がわかる人は、たぶんに、女性とも男性とも、コミュニケーションを取れるようになれる。

人間とコミュニケーション取れるようになる基本的な状態の良さ、というものは、どうしたって必要で、それを損なうと、もうなかなか浮上できずに、定期的に爆発してしまう。

それは、私自身にもあるものだから、彼らには、今自分がつらいことを、まずは自覚してほしい、と願っている。

 

そうしたら、相談してみようとか、サービスにつながろうとか、必要なら医療や福祉の手を借りようといったように、社会のなかに溶け込めるキッカケづくりができるようになれるはずなんだ。

だって、まだ、この文章を読めるインフラは、手元に残されているのだから。