華志笑の心の通信記録

日々を書き留めた雑記ブログです。

表現すること

私は、どちらかというと、わりと常に何かしていたい方なのかもしれない。

 

ぐーたら休む時間は大事にするようには、しているんやけどね。

 

ただ、書いたり表現し続けるのは、そうしなきゃ、まともさを維持できないから、というのがあって。

 

人間、黙っていられるなら、それがいいにこしたことない。

ただ、黙っている人間は弱い。そして強い。

吐き出し口がなければ、いつか壊れてしまう。

だけど、黙って耐える度量があることは、すごいことなのだ。

 

恥ずかしい、という理由であるならば、どうかな?とは思うが。

恥ずかしいって、何か悪いことをしただろうか?

 

悪いことというのは、こらしめようとしたら、さらに自分が悪いことをする羽目になる。

だから、ほっておくのが一番いいのであって。

 

一歩引く、とりあえず冷静になる、何も言わず何もせずに待つ。

案外、これが出来ない人は多い。

これって、結局本人に余裕がないと出来ないことやからね。

 

常に第三者を頭の中に住まわせる、みたいな。

 

そんな余裕がある人は、一人よがりな暴走はあまりしない。

例えガチギレても、暴力だとか、程度をこえることはあまりないものだ。

 

一人よがりな暴走をしてしまうのは、必死すぎて余裕がないから。

余白がないともいう。

 

そして、一度、限界をこえたあとというのは、溢れ続ける感情を吐き出しきるのは、時間かかるし、また、溢れ続ける心を吐き出して、見せなきゃ、心の中は整理されないから、溢れるままに吐き出しきることは、プラスになる。

 

ずっと引き摺らないコツが吐き出すことなのだから。

 

ただ、完璧で、余白がない人の周りにいることはしんどい。

欠点だらけでいいのだ、と自分を許せていないから、他人も許せないし、ずっと誰かと戦い、ずっと誰かを責めていないと生きていけないからだ。

それは、自分自身も含んでいたりする。

 

完璧なんて人はいない。

だけど、弱さを見せられない人、人に甘えられない頼れない人はいる。

そういう状況はある。

そんな人が、数少ない頼れる人を見つけた時、全力で寄りかかってしまう。

何故なら、数的に貴重やから。

 

で、数少ない頼れる人が、逃げてしまう。

そらそうや。

だって、全力で寄りかかってくるのは、支えられる側の頑張りなしに抱っこしてくれって言うてるようなもん。

重たくてしゃーないわ。

 

だいたい、誰しも自分の人生という荷物を抱えながら生きていて、片手間に親切にしているに過ぎないのだ。

 

だから、片手間の親切の範囲内で済むつながりがたくさんある人の方が、軽くていい。

 

その、片手間親切は、吐き出して弱さを見せまくる人に手を貸していく。

理不尽かもしれないけど、相手が困っていることがわかるから、助けられるのは事実なのだ。

 

普段から片手間親切を周りにバラまくことは前提にあるけど、弱った時、弱りきる前に、うまく表現し、吐き出し、軽い親切をたくさん受けて、去るものを追わずに忘れて生きることが、一番いいのだ。