華志笑の心の通信記録

日々を書き留めた雑記ブログです。

自分を保つために。

私は、わりと執着しやすい性質で、溜め込んではおけない。

だから、ひとつのモノに、入れあげすぎないこと、執着しすぎず、手放すこと、そのために自分を満たすこと。

ここらへんを考え、実行にうつすように、心がける必要はあって。

 

視野が狭くなりすぎないように、というか。

 

実は、私は、神経病みやすい側面があるのは事実で。

 

自覚したって、性質は変わらないが、それでも、徐々に自分を変えて、徐々に癖を変えて、徐々に自分が幸せな気分を保つことを心がけることなら出来る。

 

自分がいっぱいいっぱいになると、周りが見えなくなって、奇行に走るというか、暴走するというか、冷静になれなくなるわけで。

 

今の私は、そのあたりが、不安で仕方ない。

 

睡眠時間が不足すれば、自分を保つのは、どこまで出来るか。

睡眠不足は、私の場合、かなり鬼門といっていいわけで。

 

なんでもかんでも、暴露すべきではない。

そう考えるのも、わかる。

それは、相手のため、自分のため。

それでも、暴露したり、吐き出したり、しないと辛くなるのは、限界を超えている証で。

 

離れるのが、ベストってことは、世の中多いよね。

それでも、人は孤独じゃ生きられない。

それは、私もそうで。

 

どうすれば、すがらずに生きていけるか。

 

すがるとしても、たった一人、あるいは数人の個人にすがるのは、その個人がしんどくなって共倒れになるだけやから。

かといって、モノにすがったり、金にすがるのは、良くはない。

結局、モノや金では、埋まらない欲求なのだから。

行為に依存するのは、一時的には効果あっても、内容によっては、自分を破壊する。

 

じゃ、どうすれば、いいか。

 

自分を常に見つめながら、自分の執着の源の欲求は、際限のない不安なのだと知ること。

 

不安を満たすのは他人には、不可能だと知ること。

 

そのためには、各種宗教は、ヒントになる考え方を書き残しているから、うまく利用できれば、より社会に適応出来るようにもっていったり、幸せな自分を見つけ、満たし続けることもできる。

 

だけど、宗教も、中に入り込み、信じこみ、それしかないとなれば、つまりすがれば、それは、周りにとって迷惑になる。

 

ただ、今という時代は便利なもので、別に信者にならずとも、宗教の有効なエッセンスは、SNSやブログや本屋等で知ることが出来る。一見宗教に関係がない人であっても、有効なエッセンスをばらまいている時代なのだ。

 

だから、それをどう生かすのか、だ。