華志笑の心の通信記録

日々を書き留めた雑記ブログです。

愛の結晶とは

よくさ、子供のことを、愛の結晶と例えるけど、違うんやで。

 

愛の結晶は、結果でしかない。

 

だから、私自身の中に愛の結晶があり、あなた自身の中に愛の結晶があり、今ここが、愛の結晶。

 

毎日会い、毎日メールや電話やLINEをかわし、毎日言葉をかわすこと、それ自体が、愛の結晶なんやで。

 

毎日の関係性、そのものが、愛の結晶。

 

子供の有無は、愛の結晶とは、全く関係ないとまでは言わないが、分かりやすく言えば関係ない。子供の有無は、男女の関係性において、愛のあるなしとは別物。

 

子供は、子供と私、子供とあなた、という別の関係であり、独立した関係であり、子供との間に愛を生み出すのは、また別の話であって。

 

もちろん、愛を色んな人に分け与えていくことは可能なことやけども。

 

愛とは、言葉であり、愛とは、人間関係そのものであり、愛とは、お互いの関心そのものと言い換えが出来る。

 

つまり、愛の結晶とは、あなたや私が、この二人の関係で、何を得て、何がわかったかであり、それが子供という形であらわれる場合もあるし、ブログが残る場合もあるし、本を出版するって形であらわれる場合もあるし、

タレントになってあらゆるメディアに出演し、様々な表現をする形であらわれる場合もあるし、音楽や絵を残す形であらわれる場合もあるし、福祉の形であらわれる場合もあるし、愛の結晶そのものには、決まった形はない。

 

死んだあとに残る、自分の思考まで丸わかりの人生物語そのものが、愛の結晶。

 

まあ、やたらと愛と言いたがるのは、大抵ロマンチックな雰囲気に酔いたいだけであって、二人で酒をあおるようなもんやで。

 

素面であっても、本物の愛は、ただそこにある。たとえ、無償の愛だとか、愛の名前を叫ばずとも、ただそこにある。

 

愛の名前をささやいて、酒に酔うように、二人の世界に酔うのも、大人のお楽しみの範疇ならば自由で楽しいですむけれど、飲み過ぎ厳禁。

飲み過ぎたら、苦しくなって、吐いてしまったり、頭痛がしたり、二日酔いになるだけ。

だって、愛の名前をあれこれ、工夫して叫んだりささやくのは、あくまでも酒であって、ご飯じゃないから。

 

ご飯は、セックスに関係のない、異性同性も問わない、友人関係や家族関係であって、恋人関係も、それを踏まえていられたら、ご飯の関係にもなれるけども、恋人は基本的に酒であって。

だから、恋をせずとも暮らしていけるのであって。

 

恋と愛は似て見えても、違う。

酒とご飯は似て見えても、違う。

どっちも、確かにカロリーあるけど。

 

恋の要素は、吐き出しきったらさめてしまうもの。

あるいは、愛の方へ変わるもの。

 

だから、恋には、必ず終わりがあるし、必ず関係の区切りがある。

結婚や同棲の有無は関係ない。

それは、ただの物語の過程でしかない。

人生そのもの全て、魂の物語全てという視点でいうならば、ね。

 

細々とした、個々の人生のテーマとして、お金だとか、恋だとか、自由だとか、土地だとか、血筋だとか、健康だとか、若さだとか、執着しやすい対象についてがメインテーマになっている多数の人生があり、でも、その全ての人生テーマのいくつく先が、愛の物語、であり、愛の結晶。

 

最終人生テーマは、どんな魂の持ち主であれ、どんな人生テーマを送ってきた人であれ、真実の愛とは、これが人生物語の最終テーマなんやで。

 

で、真実の愛とは、って人生テーマは、一人じゃどうにもならないテーマなので、二人以上の登場人物が出てくるってだけやで。