華志笑の心の通信記録

日々を書き留めた雑記ブログです。

噂に対するスタンス。

やっと息子が寝た。
そして、ちょっと寝たら、今度は私が覚醒した。
久しぶりに、授乳モードの睡眠スイッチが入ってしまったらしい。
こうなると、昼間に影響するから、今は、寝ておきたいのに。
しかも、息子は私の上に乗っかっているため、寝返りも打てない。
そんなこともあるよね。
最近はじめたTwitterにちょっとハマっている。
確かに、忙しくても気軽に更新出来る。
ブログは、長文をこってり書きたい時ならとてもいいけれど、忙しいときは後回しになりがちだ。
そして、長文を書きたい時というのは、ネタを見つけた時か、自分の気分がとにかく不安定すぎて安定させたいとき。
前者なら、まだいいや。書いてすぐに見られたいんやから。
後者の場合、気分そのまま文章に出てくる。
とにかく安定してない文章。
とても読めたものじゃないクオリティ。
これは、鍵つきに入れておくのが一番いいかもしれない。
だが、たまに、その安定してなさ故に、面白く化ける時もあって。
自分なりのnoteをつくってみたときに、ほぼ全部公開をしてみる限界を感じたのは確かで。
有料記事にして、読者を限定していたりするけどね。
そして、気分安定したときに、リタッチしたりするんやけどね。
ただ、ちょっと前の文章ってだけで、いじくりにくい気分にはなる。
これ、十年前の文章だと、もはや放置する他、術がなくなる。
もちろん、細かい校正を出来そうならやってみたりできるけど、昔すぎたら、もう別人なんだ。
学生の頃の私、独身の頃の私、子無しの頃の私、みたいな感じ。それを、子供がいるおばさんの私が修正なんて、立場が違いすぎて、出来やしない。
立場が違えば、見え方は変わる。
ただ、やっぱり私は私には変わりなくて、そこが妙に面白かったりもする。
昔の私、いや、本当にちょっと前までの私は、名前を出すことはもちろん、自分のプライベートを出すことすらも怖かった。
デジタルタトゥーであることを、何より知っていたから。
それでも、漏れでる気持ちは、書き留めたくなって、こっそり日記をつけていた。
今でも、旦那や近しい人に自分の文章を読まれて、どういうことかって聞かれるのは苦手だ。
それでも、公開で書くのは、やっぱり書くこと自体は好きだから。
そして、どうしたって、140文字には入りきらない。
私は、自分にずっと聞いている。
自分の気持ちを。
それを出せば、必ず誰かを傷付けることも知っている。それが、近しい愛しい人であることも。
それでも、私は自分の望みと常に秤をかけている。

私のことを、よく知らない人たちは、私のことをらしいって不確かな話で噂をするだろう。
私が、今まで恐れていたのは、そういうことだった。私自身が、噂に同調してストレス解消したりすらした。
今思えば、恐ろしいことだ。
誰しも、本当のことなんかわからない。
自分自身すらわからないというのに。
なのに、噂をして、不確かな情報で人を縛ろうとする。事情通のつもりでいる。
しかし、噂をする人って、信用できるだろうか?
好きだろうか?
私は嫌だ。だったら、もう噂をしない。
口に戸は立てられない。だって、黙っているのは苦しいから。
だけど、喋る内容を選んだり、同調する内容は選べるはずなんだ。
私は、噂をする人を、可能な限りフェードアウトさせてみる。
もちろん、これからの息子の人間関係には、響くかもしれない。
しかし、よってたかって噂をするような人物に気に入られる必要はあるだろうか?
息子の友達関係とママの人間関係は別物である。
そこを、親側から、誰々と遊んじゃダメなんて、言い付けるような育ち方した子供は、まともだろうか?
いや、無理に仲良くしてみたところで、今度は息子を傷付けるようになるだろう。友達のふりをして。
だったら、別に嫌われてもいいんじゃないかい?

とはいえ、問題は、子供の年齢が小さければ小さいほど、子供側から見える世界は狭いこと。
学校のクラス内が全てになりがちなこと。
でも、実際はそうではない。
子役の子供たちみたいに、二つ以上の世界に同時に所属する子供は日本では少数派だから見えにくいけれど、世界はいくつもある。
だから、そこにさえ気付けたら、後は息子が乗り越えてくれる。
私の役目は、必要なときに必要なことを気付かせること、だろう。

なんて、遠い先のことを思いながらも、まだママとくっつき虫な息子を眺めている。