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華志笑の心の通信記録

日々を書き留めた雑記ブログです。

節目。

大人になってからの人生は、学校みたいに、きっぱり新学期をむかえたり、わかりやすく入学、卒業するわけではない。

だけど、グラデーションみたいに、だんだん変わっていくことはあるし、ふりかえったら、あれが転機だったと、わかることもある。

やっぱり節目はある。

 

わかりやすい節目は、就職、結婚、妊娠、出産、転職、定年引退、離婚、死亡。

 

そして、子育てして、改めて見えてきたのは、子供の入園、卒園、入学、卒業、子供の就職、独立という、子供が主役の人生の節目は、両親や周りの大人にとっても節目である、ということ。

 

主役は違えど、節目ってやつは自分が翻弄されると同時に、周りを振り回す時期でもあるのだ。つまり、自分の節目が周りにも影響を与えてるってこと。

場合によっては、自分が知らない誰かにも、自分の節目が影響を与えた人の影響の波が届いていたりする。

そうやって、徐々に社会や世界っていう、大きな範囲にも変化を与えてるんだよね。

だから、人生の節目を迎える人の多い時期を頭にいれとくのは大事なこと。誰より自分自身が必要以上に翻弄されないためにね。

 

今は、ずっとは続かない。

それは、どんな時も救いであると同時に、いつ誰に翻弄されるかわからないってことでもある。

それでも、人は直接影響される人だとか、直接付き合う人を、ある程度まで選ぶことはできる。

 

間接的な部分までコントロールは出来なかったとしても、ね。

 

どんな自分でありたいか?どんな世界にしたいか?

己の力で切り開く。

一言でいうのは、簡単だ。だけど、行い続けるのは、時に折れ、時に苦難にあうかもしれない。そもそも、己のことがわからなくなるときだってある。

そんなとき、こうなるかもしれない。

自分の軸を持たずに、流されて多数に従って生きれば、問題を見ずにすむし、人のせいにして責任転嫁すれば、本当に楽チンでいい。

それもまた、世渡りのひとつなのは確かではある。とりあえず生き延びていけるから。

 

だけど、そうやって生きることは、幸せなのだろうか?

なんとなく、埋まらない何かを、足りぬ足りぬと文句をつけながら生きる様を見る限り、他人任せの生き方には、幸せはないように思うが。

それでも、これが幸せなのだと、自分をごまかして生きるには、もう色々壊れすぎていて、変わりすぎている。

今、お金がないとなげく人がたくさんいる一方で、本当にお金を持っている人はお金の使い道がないからと溜め込んでいく。

お金が天下に回ってこないのは、本当にもったいない。どうしたら、お金は天下に回っていくのか?彼らはお金を天下に回したくなるのか?

そう考えてみたら、やっぱり、もう他人を気にして生きるのではなく、自分のやりたいことをやってみて、自分に従って生きてみる、という生き方をやってみてもいいのではないか?

 

どうしたって問題だらけなのは、どんな世界であっても一緒で、どんな時代でも変わらなくて、途方にくれてしまう。

 

それでも、私はどう生きるのか?

 

他人の悪口で生きるのか?

それは、狭間にたたされたものを苦しめるだけで、何の生産性もない。

私は、あなたは、どう生きるのか?

それは、どんな世界にするのか、どんな時代にするのか、どんな世の中にするのかにも、通じていく。

 

自分の思いを主軸にして生きる、ということは、そういうこと。

時代をつくる側、世の中をつくる側に、回っていくということ。

そして、自分で時代を切り開く。

自分で自分をつくるのだ。

 

己の力って、案外強い。

私が特別パワーに溢れているわけではない。

確かに、生まれつきのパワーの差はあるかもしれないけれど、本当にパワーがないならば、この世界に生まれ落ちてくることすら、かなわないのだ。今、この瞬間でも、生きて生まれてきてほしいと願われながら死んだ赤ちゃんだっている。

生きて生まれてくる、生きて育つ、成人し、老人になっていくのは、決して当たり前ではない。

だから、今生きているあなたも、私も、意外とパワフルな存在なのだ。

なんで生きているのか?

せっかく生きているのだ。

長くて短い時間を、なにもせずに生きるのか、様々な存在をつくり育てていきながら生きるのか。

 

決めるのは、これを読んだあなた。

あなた自身の人生については、あなたしか決められないからね。

 

 

 

可愛い男に告ぐ。

可愛い、と言われることに悩む男がいる。

だが、可愛いと女に言われることは武器である。

男として見られていないと悩むわけだが、可愛いと、ことあるごとに言う女が相手を男として見ていないから可愛いと言うわけではない。むしろ、逆だったりする。

実は、見知らぬ男の嫌われ特攻隊より、よっぽど彼女の特別な男の座に近いのがあなたなのだ。

 

男は、やくざのような、怖い顔した角刈り男をカッコいいと憧れる傾向があるが、怖い顔した角刈り男は、実は女にはモテない。

 

女が恋愛対象にしたがる男は、実は女っぽい部分がたくさんある男なんである。

 

宝塚歌劇団の男役という、カッコいい女を追っかけているのは、男ではなく女であるというのが典型的な例である。

 

やっぱり可愛いより、カッコいい男がいいのではないか、と誤解しないでほしい。

女は、男には、自分と同じ女の要素がほしい生き物なんである。

 

よくよく観察してみれば、女に人気がある男性芸能人は、カッコいい系であれ、可愛い系であれ、男でありながら女の要素が強めな男性なのだ。

 

だから、モテる。

 

可愛い、と女に言われる男は、実は、異性モテに最も近い要素を備えており、しかも、好きな女の男友達という、恋人により近いポジションを難なくゲット出来る才能を持って生まれてきているのだ。

 

問題は、どうしたら、恋人に昇格出来るのか、ということだろう。

 

これは勇気はいるが、案外簡単なことだったりする。

 

タイミングを探り、告白すりゃいいのだ。

 

探り方だとか、そういうのは相手の女によりけりで、お互いの年齢によりけりで、会話の流れによりけりなので、ケースバイケースとしか言い様がないのだけど、大まかには、

「可愛いばっかり言われるけど、僕だって、男なんだよ?」

とか、ある程度はっきり男を意識させる発言をさらっと冗談っぽく軽く言えたらいい。

可愛い男ということは、あなたはまだ若いのだろうし、そうあせる必要もない。

 

それでも、男として意識してないよ、友達だよと言いたげなかんじならば、それは、女にとって、今は男が友達な方が都合いいから、男として意識してないと発信するわけで。

たとえば、女側に他に好きな人がいる場合もあるし、まだ意識がそこまでいってない場合もあるし、その見極めが大事なんだがな。

 

それでも、いつかは、告白して、関係に決着をつけた方がいい。

何となくフェードアウトする関係の終わりは、確かに綺麗なんだけど、行き着くところまでやりきらなきゃ、中々諦めがつかなくて、その恋を後々まで引きずってしまう。

それは、双方にとって、いや、誰よりあなたにとって、貴重な時間の無駄を招く。

だから、きちんと告白してフラれるなり、関係を進めるなり、結果を出した方がいい。

 

その上で、また考えたらいい。

 

ただ、告白しても、きちんと相手があなたをふりきれない回答をされる場合もある。

その場合は、たいてい、相手から見える関係が、あなただけが相手ではなく、他の相手がいて、しかも、あなたと利害関係があるから、曖昧にせざるを得ない場合も多い。

いわゆる三角関係である。

 

男ってやつは、三角関係に気付かない鈍いやつも案外多くて、それが関係をこじらせ、中途半端な関係が長期化する原因になる場合もある。

だから、この場合、あなたが察してひくしかない。

あるいは、あなたの全人生をかけて、あなたが好きな女と彼女の好きな人との物語が終わるのを、男友達として相談されるポジションを維持しつつ待ち、チャンスを伺うか。

 

後者の場合、あなたが将来的に好きな女との家庭、特に子供を持つことを諦めることも視野に入れる必要がある場合すらあるし、あまりおすすめできない。

が、やはり、やるだけのことはやってみなきゃ諦めつかないのも、人間の性。

 

本当にほしいものは、しっかりゲットするためにも、関係を正確に把握する賢さ、関係を維持する話術、関係をはっきりさせる勇気の三本柱をあなたが身につけることこそが、あなたが持って生まれた才能を生かす近道なのだ。

性欲わくとき。

月一も相手にされない、という悩みがあるのだから、昨日や今日相手してもらえるなら、恵まれていて、贅沢であるかもしれない。

としても、性欲わきすぎて、朝晩相手してもらっても、足りなくて辛い。明らかに、私側の性欲がありすぎる。性欲のせいでボンヤリもするし。身体を動かし、暇を作らないようにしてみても、ボンヤリは困る。

それに、昼間息子がいる前では、自分一人慰めるにも限度がある。

だが、性欲の発散として、自分に出来ることやれることはやりつくしてみるしかない。

 

こうかくと、じゃあ僕が相手しますよとかほざく見知らぬ馬鹿男がわいてくるだろう。

だが、見知らぬ男では、私は感じないし、私が相手してほしい男ではないのだ。

これが、女の性欲の厄介なところで、相手を選ぶのだ。

旦那に相手してもらいたい、とか、せめて仲のよい男友達(ネットで出会って拾ったとかそういう関係ではない)に相手してもらいたい、はありえても、よくわからない相手には欲情しないんである。

まずは意気投合してからじゃなきゃ、性欲はわかない。

で、いきなりやりたがる男は、たいてい意気投合するだけの話題がない。

正確には、趣味が合わない。

中身がない場合すらある。

だから、感じない。

 

極論を言えば、カフェで喋るだけで事足りるのかもしれない。

ならば、そこまで至らない方が私の望みには合う。

 

なんで、こんなに性欲がわきすぎるのだろうか?

これはこれで、悩ましい。

適切な性欲の値で、バランス取れてりゃいうことないのに。

 

性欲は、無さすぎても、有りすぎても、悩みのもとである。

 

 

 

有料で何かを売る難しさ

楽して小遣いゲット

ブログは、そう思われがちだ。

しかし、毎日書き続けるのは、好きじゃなきゃ続かない。

三ヶ月で更新止まったブログは山ほどあるのだ。副業であっても、いや、副業だからこそ、自分が楽しく続くかどうかは、重要な部分だ。

楽しく小遣いゲットって観点なら、仕事を好きになれたら、どんな職種でもあり得ること。

まずは、自分の今ある仕事の好きになれるところ探し。

人もそう。

なるべくなら、良いところ探し。

なるべくなら、誉める。

それでも、相性の良し悪しはあって、価値観の違いはあって、理解しきれない、疲れる、そんなことはあって。

人間だから、イライラもするし、かなしくもなる。

これは、ただ、コンディションが悪いだけ。

でも、コンディションが悪い日が長く続くようなら、人間関係も含めて、仕事が自分にあっていない場合も考えられる。

だったら、遠慮なく転職しちゃえばいい。

一歳でも、一日でも若いうちに、転職した方がいい。

年をとればとるほど、人は、経験を求めてくるから、新しい仕事につきにくくなる。

 

話が変わるが、私の父は職人なので、資格らしき資格はなくとも、特殊技能がある。

特殊な世界なので、そんなに求人の数はないが、そこに特化したスペシャリストを一から育てるのは並大抵ではないようだ。

しかし、仕事において求められるのは、スペシャリストであること。

なんでも出来るジェネラリストは、実はなんにも出来ない。だから、会社の看板を外されたジェネラリストの老後は、年金が実質破綻した今は、体力仕事で食いつなぐのが現実なのである。これがわかってないシニアジェネラリストだらけが今の日本。

 

もちろん、経理のように、機械の進歩によって、スペシャリストに求められる技能が変わってきたり、要らなくなったりする場合がある。

だから、世の中の需要に自らを合わしながら、自分をスペシャリストに育てておくのが、結局自分の未来のためだったりする。

 

だから、転職をするのも、しないのも、メリットデメリット両方がある。

スペシャリストになるということは、他の可能性を閉じることでもあるから、やはり何のスペシャリストになるか迷うのもわかるし、そもそも自分の仕事選びで、好きじゃない仕事をせざるをえない人も多い。

それでも、本当に向いていれば、やっていて楽しいから、スペシャリストになれる。いや、楽しいところを見つけるのだ。

そんな仕事を見つけられたら、最高だよね。

 

体力が衰えたシニアジェネラリストが、新たに学んで、取りかかる仕事としては、占い師は最適な条件がそろった仕事ではある。

悩み相談とか、若い私がやるより、定年退職した人が言う方が説得力があるのは確かだし。

今なら、割りと募集もあるので、副業としてもいいだろう。

就職氷河期で正規の仕事のキャリアを積めなかった人の起死回生にも、占い師はおすすめできる仕事ではある。

苦労人な過去がある方が歓迎される職種だからね。

 

だが、この、占い師って仕事は、不倫はダメって人の話も聞かずに叩くだけのような人ではつとまらない。もちろん占い理論すら勉強する気がない人もつとまらない。

これだって、客を集めて、なんぼなのだから。

だから、向き不向きがある。

 

とはいえ、日本人全体が、内緒のことを抱えることがいかに自分の心身に響くかを知り、周りを気にしない、周りをとやかく言わない、でも本当に自分と気が合う人と共に生きる生き方を選ぶ人が増えてきたら、占い師という仕事の需要も減るだろう。

 

自分の顔と名前を堂々と出すことに恐れがなくなり、当たり前になってきたら、自分の顔と名前に責任を持った発言をすることを前提とした社会になれば、そうそう、傷付け合うことは出来ない。

それはそれで、悩みはあるかもしれないが。

人がいれば、悩みはつきないのだろう。

 

占い師って仕事がそこまで需要がない社会になるのが、ある意味幸せなのだが……

 

新しい時代に対応した息子たちは、どんな時代をつくるだろう?

みんなが幸せになれる時代の到来を夢みている。

 

 

一人になりたい。

恋人出来て、結婚出来て、子供授かってって、幸せでありがたいことだ。

世の中、それが叶わなくて、諦めている人で溢れているのだから。

わかっている。

だが、常に、旦那か息子か、あるいは両方がいる生活は、それはそれで辛い。

とにかく、イライラしてしまう。

あぁもう叫びたい。

離婚のニュースとかみると、羨ましくすら感じる。

子供のこと考えたら、それはよくないってわかるけど。

経済的なことも不安だし。

イライラばかりたまる生活より、ひとりぼっちの方がずっといい。

旦那の職種的に、景気がよくなったら給料上がるとか、そういう希望すらない。

やってらんない。

私が働きに出れば、そう思って面接受けてみたけど、落ちるし。

マジやってらんない。

計画性なく、衝動で別れたって、私に仕事なければ、生活出来なくなるって、わかってるけど、もう、一人になりたい。

子供が可愛くないのか?とか聞かれたら、可愛いときもあるけど、私一人ですら、食わしていけるかあやしいのに、連れて出ていけない、と思うのだ。

家の跡取り息子でもあるしね。

でも、泣いたらたぶん抱きしめてしまうとも思う。

月並みなことを言えば、誰かに預かってもらえば、なんだろう。

申請してみたら、たらい回しなかんじなのに。

息子が幼稚園入るまでの辛抱だ、と言い聞かせるが、経済的な不安は止まらない。

こんなとき、違う旦那さんなら、もっと稼いでくるかな、とかも思ったりするが、たぶん一緒だよ、とタラレバなんかないさ、と自分に言い聞かせる。

あともう少しの辛抱だ、って自分に言い聞かせるが、あともう少しってどのくらい?

私に子供産める能力あるうちに、一旦自由になった方が、いいかもよ?

そんな自分がいる。

経済的に稼いでこれない旦那と一緒にいるより、別れた方がお互いのためな気すらする。

ただ、子供からしたら、パパママなんだから、これが引き止めてる。

子供がもし、別れたらいい、別れていいっていうなら、たぶん別れてしまうな。

そんなもんだと思う。

 

未来の夢にとらわれても仕方ないが

未来自体は、選んでいける。

変えていけるっていうより、選んでいけるって方が正確な気がする。

ただ、私がちょくちょくみた未来の夢が、本当に華志笑の未来なのか、華志笑の願望なのか、華志笑´の未来(つまり、実現はしない)なのか、その時にならなきゃわからない。

だが、時々思い出しては、これでいいのか?と自問自答して、優柔不断な自分になってしまう。

これでいいんだ。

それしかなかろう?

焦っても仕方ないさ。