華志笑の心の通信記録

日々を書き留めた雑記ブログです。

ミス慶応2018のファイナリスト、上野瑚子さんが素敵すぎる件

@misskeio201802さんのツイート: https://twitter.com/misskeio201802/status/1024235495608397824?s=09

 

上野瑚子さんに惚れてしもうた。

可愛いし、頭いいし、天才すぎるし、素敵すぎるやろ。

ということで、わたし勝手に拡散することにしました。

 

一日に一回投票できるのですが、正直票を押し足りません。

 

わたしの拡散力とか、ほんま大したことないかもしれないけど、わたしは、上野瑚子さんにミス慶応とってほしい。

なので、めっちゃ推すことにしました。

 

もう、わたしの語彙力足りません。

 

しばらく、上野瑚子さまの動画やお写真ながめて元気出しながら育児にはげみます。

 

上野瑚子さんいいなーって思った方は、投票おねがいします!

 

 

読んでいる人がいてくれるから

読んでいる人がいるかどうかは、わたしには、ビューの数とかしかわからない。

コメントとか、スターとか、TwitterならファボとかリプとかDMとかフォローとか、noteなら購入とかサポートとかスキとかコメントとか、そういう反応って、たいていないのだ。

フツーは、反応ない。

 

まぁ、ファボとかスキとかの反応は、けっこうハードルひくくて、投げやすく投げられやすいのやけどね。

 

ただ、配信に関しては、ちょっと特殊で、もぐってみてるだけの人も多いんだけど、なんらかの反応くれる人も多い。

これは、リアルタイムで反応して、会話を楽しまなきゃ楽しくならないという性質があるからだと思う。

 

それにたいし、ブログというのは、読者が反応しないのがフツーなのだ。

だからこそ、検索ワードを拾い上げたりして、読者がどんな記事を望んでいるのかを知ろうとする必要がどうしても出てくる。

 

それって、占いに似てるんだよね。

 

占いって、当てにいくと、コミュニケーション取りやすくなるって効果がある。

でも、本質的には、当たっていなくても相談者が幸せならば、それでよいのだ。

だから、当たるかどうかではなく、しゃべりやすいかしゃべりにくいか、なんだ。

だから、しゃべりやすいように持っていき、相談者がどんな鑑定を望んでいるのかを知り、そこから、カードの意味なり、生年月日から読み解ける意味なりを伝えていく。

 

言葉少なくして、さぁ当ててみろってかんじの相談者を相手に、占いをやっているかんじとブログを書くことは似てると思う。

 

逆に、ほんとうに追い込まれてる相談者相手の占いと、配信でのやり取りはとても似てると思う。

 

双方、求められていることもちがえば、表現もちがう。

 

ブログは、そこまで追い込まれている人を救うというよりは、大衆向けの情報収集の中から取捨選択することができるくらいの余裕がある人向けのメディアなのだ。

 

だから、どうしても、個別のことは書けなくなる。

 

noteであれば、多少はプライベートに踏み込んだことも書けるけど、それでも、有料記事をだれが買うのかわからないのだから、大衆向けの作品の域をでることはない。

 

そうはいっても、ネットでのやり取りを通じて、ある程度は、お互いに自己開示しあえてしまえるので、どことなく、どんな人なのかは把握できるものなのだ。

 

しかし、それは、ギブの人同士の話であって、匿名主義をやめた人同士の話であって。

 

匿名主義をつらぬき、テイカーでいてる人相手の場合、わたしの情報収集ばかりして、そちらの情報開示をほぼしない人だったりするから、わたしからみて、なんとなく違和感を感じたり、怪しく思ったりする。

 

なので、対応も、どうしても、疑いながらの対応になるのだ。

 

別に、名前を出せとか顔を出せとか声を出せとか言わないけれど、考えていることの内容は出しあってからの関係になってから、とか、ネット上の付き合いにも段階がある気がする。

 

その段階をすっとばすと、うたがわれるだけで、うまくいかないと思う。

 

何を望んでいるのか、素直に言ってもよい相手かどうか、わたしはつい相手をみてしまう。

 

自己開示のやり方がうまい人には、通常ならそれなりに相互のやりとりをしている人が常にいてたり、とにかくひとりのようでひとりでは暮らしていないのだ。

 

自己開示のやり方の練習としては、雑記ブログは、ほんとうによい練習になる。

自己開示する度胸がつく、という方が正しいかな。

自己開示してしまったとしても、ブログはまず読まれないというのもあるけど。

ほんとうに最初はビューの数もほとんどないままで、読まれてないことにがく然としてしまうものだもの。

 

そりゃそうだ、わたしだって、検索かけてみて、トップに出てきたそのジャンルの人気ブログや人気記事、新着記事しか読めないもん。

 

それか、SNSからたどって知り合いのを読むか、だもの。

 

だから、検索ワード対策をするか、SNSのフォロワー獲得にむかうか、どちらかはしとかないと、そりゃブログの存在を知る人自体が増えない。

両方のことをして、それでも、昔ほどは楽に読者獲得はしにくいと思う。

今、ほんとうに獲得競争は熾烈だ。

 

わかってはいるけど、最近は、どうにも気が進まないことも多い。

 

TwitterBotに任せっぱなしでも大丈夫なようにしておいたし、しばらくネットから離れようと思えば、離れても、たぶん大丈夫。

 

それでも、わたしの文章や動画が必要な人は、いつでもヒマなときに、わたしの文章や動画をみれる。

 

YouTubeに力をもう少しいれてみてもいいのだけど、最近は暑さに負けて、ダルいのよね。

 

動画投稿をしてみて、そこからやなぁ。

 

 

移動中は手持ち無沙汰だから

今日は、免許更新にいってきた。

まだ小さな子どもを預ける必要がでてくるので、もう一年先だったらいいのに、とはおもうんやけど、しゃーないよな。

久しぶりのひとりの時間。

密着しすぎや。

あぁ、カラオケいきたいなぁとか、それ以前に、いろいろあるんやけどね。

子ども育てていると、ほんまに資金どれだけあってもいい。

そう思える。

稼いだ資金は、使ってこそ。

使うことに意味がある。

そういう意味では、子ども育てている夫婦にいかにお金がまわってくる仕組みにするか、ということは、全方面にお金がまわってくる仕組みにしていくことにつながる。

独り身がお金をつかう、といっても、独り身だと、お金をまんべんなく使ってばらまくのには、限界があるような気がしていたりもする。

その人の好きな分野にしか、お金まわっていかないからね。

でも、子ども育てていると、子どもを育てる必要経費として、わりと幅広い分野にお金落としていくわけで。

そういう意味では、現在進行形で子ども育てている夫婦に資金提供していくことで、子どもを産むことを促進し、子どもの数が増えていき、世界的に勢いある国認定されて、世界の資金を集めやすくなるわけだから、子育て世代の夫婦に資金を圧倒的に集めていくことが戦略なわけで。

そろそろ、降りる駅なので、また。

 

兄弟はいつから遊ぶのやろうか?

わが家の兄弟は、現在、二歳(来月で三歳)と生後四ヶ月。

 

この年齢だと、まだ兄弟ふたりで遊ぶわけではなく、お兄ちゃんがひとりで遊んでいるのを、次男がうつぶせになり、顔を持ち上げ、ベビーベッドの隙間から、じっとながめている光景である。

 

しかし、家事をやっている間も、よほどのことがないかぎり、次男はグズらないので、長男だけの頃より育てやすいと感じる。

 

ときおり、寝返りして、手足がベビーベッドの隙間にハマり、ママをよぶか、おなかすくか、うんちしたか。

次男の呼び出しは、まだ予測がつく。

問題は、長男である。

長男は、家事をやっている間、勝手にオムツを脱ぐ。

トイトレめんどくさがって、後回しにしてるわたしのせいなのかもしれないけど、長男の言葉の発達が、なんか遅いのもあって、勇気でないんだよね。

窓を勝手にあけて、オモチャポイ捨て、もあったな。

窓を勝手にあけて、スマホをポイ捨てされたときは、どうやってスマホ回収しようか、困り果てた。

うまく、回収でき、いろいろ調べて、スマホが無事だったときの、この胸の安堵よ。

 

窓を勝手にあけるのを防止するために、二重ロックかけて、子どもたちをじっと見てるようにするわけだが、はたして、どこまでごまかせるか。

 

二歳差育児の、いちばん大変な時期は下の子が生まれた直後から、一歳までだわ。

まだ下の子一歳になってないから、ひょっとしたら、下の子一歳になったら、今がいちばん大変だわ、を更新してるんかもしれんけど。

兄弟は、いつから二人で遊ぶのやろうか?

この、二人で遊ぶ兄弟の姿を脳内で楽しみにしながら、二人に接するわけよ。

 

わたしの兄弟の記憶をたどってみる。

わたしには、弟二人と妹がいる。

記憶をたどると、気がついたら遊んでいるかんじなんだよね。

だから、気がついたら、遊んでいるってことになるのかなぁ。

ただ、兄弟で遊ぶ当事者と、親目線では、えらいちがいがある。

 

兄弟は、ある意味では、生まれた直後から遊んでいるともいえるけど、本格的に遊んでいるといえるのは、いつごろだろうか。

 

追ってみよう。

 

こちらもよろしく。

https://note.mu/makoto_alice/n/nc8cc2fe86569

 

 

洗脳されそうになったときは洗脳解除役が必要でして

スルースキルがあれば、それにこしたことはない。

だけど、毎日言われるとスルーしきれなくなり、毎日、その言葉にとらわれて、辛くなる。

自分に、そんな呪いをかけてくる人となんか、縁を切れたらベストだけど、そうもいかない場合もあるし、縁が切れたからといって、言葉の記憶までは葬り去れない。

厄介だけど、それがわたしでもあるので、わたしには、わたしの洗脳解除役が常に必要なのだ。

わたしの洗脳解除役は、冷静に、わたしの洗脳の中身を問い続けられる人である必要がある。

となると、それなりに心理に長けた人である必要があって、つまり、フツーの人は、わたしに付き合いきれんのである。

 

つまりは、わたしは、どうしたいのか?という問いに付き合える人である必要がある。

で、しかも、わたしは、それを問う人を自分で選びたかったりする。

どんだけわがままなのだろうか。

 

わたしは、変なところ、繊細すぎるのだろう。

 

そのうち、その言葉の呪いから解放されるまで、根気強く付き合える人は、数えるほどしかいないとおもう。

 

この性質がある以上、友人がコロコロ変わるのは致し方ないのだろう。

まぁ、バージョンアップしただけだ、と人間関係がガラリと変わったときは前向きに考えるようにしている。

 

 

 

 

これが強制シャットアウト?

最近、新しい言葉がうかばない。

地味に、スッキリしており、しかも、ネットとのつながりを切れさせようとしているようなこと続きだ。

 

ここいらで、ネットをやすんで、はなれてみるのもありかもしれない。

 

https://note.mu/makoto_alice/n/n50b4d0c02baa

 

ちょっと前までは、こんなかんじやったのですが。

 

けっこう波があるんだよね。

 

https://note.mu/makoto_alice/n/n11f51a81dc5d